2011年6月22日水曜日

Frente Cumbiero and the Renaissance of Columbian Cumbia

http://www.icrates.org/frente-cumbiero-and-the-renaissance-of-columbian-cumbia/




ボゴタの Mario Galeano はベーシストであり、レコードコレクターであり、音楽研究者でもあり、作曲家でもあります。彼のバンドは Frente Cumbiero と呼ばれ、現在のクンビアのルネッサンスのまさに中心にいます。最初にヒットしたグローバル・サウンドシステムのメキシコのソニデラやアルゼンチンのクンビア・ビジェーラとは違った、アフロカリビアンやレコード文化のリアルなシーンを保持し、出発点とした、オーケストラでのコロンビア人の新しいアプローチです。




Frente Cumbiero




黒い髪、丸い顔と口髭で、フランネルを着た Mario Galeano はほとんど Pablo Escobar’ に見間違えそうであり、Fernando Botero のキャラクターの一つにも見えます。彼の姿はまさにリアル・コロンビアンです。ソンブレロ(帽子)と肩にポンチョでも掛かっているのを想像してみてください。地元のカウボーイのイメージに合うことでしょう。違いは彼が Matik Matik のカウンターに腰掛けている事です。Matik Matik は Chapineiro(?) のアートやポピュラーなものに詳しいベルギー人オーナーの、エクスペリメンタル・ジャズやフォーク、クンビアのプロモーションに専念したバーです。
そこは基本的にコロンビアの厳しい現実から一千光年離れ、そして未だなお現代のボゴタの象徴を完璧に反映している場所です。それは絶え間なく変わり、独創的で、新しい展望と永久的にフューチャーされることが両立した場所です。
何ヶ月か前にカリで最初に会ったときに、彼はUKのQuanticと一緒に店角でビールを飲んでしました。Quanticもトラディショナルなレシピと予想外のミックスでクンビアを別レベルのものに仕立てるプロデューサーです。彼は新しいレコードをプロモーションし始めたのに対して(彼のイギリス系コロンビア人の友達が熱烈に支持している)、今回アメリカでプレスされた Names からの Frente Cumbiero の7インチは売り切れになりました。そして彼はロンドンの伝説的な Honest Jon’s Records から ディストリビュートされるという事態になっています。




Mario Galeano
彼のバンドのニューアルバム、 “Frente Cumbiero meets Mad Professor“ は長いプロセスの中での結果に過ぎません。


「僕はJaveriana 大学で作曲を学びました。ここでRicardo Galloや、Eblis Alvarez、Meridian Brothers のような地元のアヴァンギャルドな人々に会いました。」とコロンビアのクラブを通ってきたと説明します。
「でも、実際にはオランダのアイントホーフェンを卒業しました。僕は無限に続くアカデミックな音楽文化人類学の研究のアプローチに疲れていました。それは過去の事を固め、少し活動するだけのものでした。さらに、逆説的に、レコードに関する知識は無く、僕にとって新しい良い物を創りだすには一番の問題でした。」


そして彼は付け加えます。


「そして僕らは“先住民、ヨーロッパ系、アフリカ系”の3つのルーツを持ちますが、人々はそれが最終的に何の意味を持つのかは分かっていません。僕はこれらについて皆理解しないといけないと思っています。」

オランダは彼がディック・エル・デマシアド(「やりすぎディック」と訳す)に出会った場所です。ディックはエレクトロニクスをブレンドしたクンビアのシーンのパイオニアとしてワールドワイドに知られています。コロンビアのミュージシャンのようにクンビアを熟知していたオランダ人DJがいたことに気付かされます。おそらくもっと音楽を知りたいというマリオの欲望を煽ったのでしょう。クンビアはあまりに日常生活に存在していて、おそらく、親しみやすさとは無関心に取り扱われた危険もあると思います。


「そしてコロンビアは地域の国であり、それはバランキヤのNo1が、いとも簡単に逆にボゴタのアンダーグラウンドに成り得るということです。」
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二つめの大きな出来事は、彼のメキシコへの旅でした。45回転のクンビアを33回転でかけて構成した Cumbia Rebajada (ゆっくりのんびりした様は、おそらくメキシコの強い影響を感じる)はマリオを魅了しました。彼はそのような遅いスピードでスピンされるレコードに、フランジャーとディレイでダブ処理をすることでメキシコ人はコロンビアのクンビアに宇宙感を与えていたということに気が付きました。


「モンテレイ周辺の人はコロンビア人の様に着飾って、コロンビア訛りのアクセントに変え、キッズ達はコロンビア人だと言い張ってるのが本当に面白かったです。僕にとってこの事実は、人々のためのエレクトロミュージックであり、本当に国境を超えたフィーリングでした。だから、あとで The Cumbia Front という名前を選んだのです。」



マリオはクンビアと共に生きてきて、いわゆるレコードも、クンビアとアフロ-ラテン音楽両方のリアルな戦いだと考えています。しかし彼のアクションの重要性の成長は、パラドックスに欠けていない文脈と共にあります。結局のところ、クラブシーンで多くの動員をもたらす前では、長い間彼の音楽は認めていられませんでした。

コロンビアは今は真のクンビアのプロジェクトが行われている場所で、ゆるやかにホットな場所をアルゼンチンやメキシコに置き換えつつあります。いくつか名前をあげると、Quanticや、Frente Cumbiero、 Cero 39、 Lido PimientaBomba Estereo、 Systema Solar などです。いまだアンダーグラウンドなシーンにいるものもあれば、SXSW から Rennes Transmusicales まで大きなフェスに出ているものもあります。

ひとつはメキシコとアルゼンチンのシーンが盛り上がってきて、まで当然自分自身ものであると主張したフォームで音楽をやっていなかった、コロンビア人に強く気づかせるものであったのだと思います。しかしながら、他の彼の友達のであるプロデューサー Cero 39 はその説を否定しました。


「たぶん外国人には私たちにとって当たり前のことが、真新しく目に映ると思います。通勤バスや家族の再開、ヴァケーション、あらゆるお店など・・・。それは状況や社会階級を超えた音楽です。それはどこか別の場所で人気なのかもしれません。でも、コロンビアのクンビアは優雅さを持ち合わせていて、なぜいつもここにあるのかという理由です。」 



Frente の新しいレコードは多くの影響の結果であり、実験を重ねて出来上がったといえます。興味深いことにそれは、Quanticの作品だけでなく、Woima Collective や the Soul Jazz Orchestra とも一致しています。Mario はクンビアにアフロカリビアンのオーケストラのアプローチを見出しました。デジタル音を除いて、両方の伝統的なアコーディオンの音は言うまでもなく残します。


特徴的な例で言うと、エチオピアのペンタトニックスケールを使っていることは、上記のようなプロジェクトで語られています。それは世界の他の国とは異なっているということも指摘しておかなければなりません。コロンビアはフランスの独創的な Ethiopiques シリーズや Jim Jarmusch によるエチオピア音楽に通ずるための Broken Flowers を待っていたわけではありません。 Mulatu Astatke のラテン版「I faram」がリネームされた「Guaguanco los elefantes」のローカルなヴァージョンは、70年代初期に発売され広まっていました。


この2部構成のアルバムの最初の7トラック(オリジナルトラックと Mad Professor によるダブバージョン)は十分なほど私たちをハッピーにさせます。それは Mad Professor のトラックがとてもいいという事だとも言えます。




「ロンドンにいるとき、ブリティッシュカウンシルの招きでイギリス人プロデューサーと選ぶように頼まれました。自分の奥深くのところで、ダブステップのプロデューサーと一緒に仕事がしたいという気持ちがありました。でもそれはトリッキーで、僕は古典的な選択をしました。どちらにせよ、僕は既にやられているクンビア・レゲエみたいなアルバムは作りたくなかったのです。僕はレゲエでもあるクンビアを録音したかったのです。」




コロンビアとFrente Cumbieroからのニュースにこれからも注目しましょう!