2013年3月12日火曜日

Afro-Mexico Road Trip #2: The Chilena


Afro-Mexico Road Trip #2: The Chilena


Afropopのプロデューサー、Marlon BishopとNina Macintoshはラジオドキュメンタリー"Hip Deep"のリサーチのため、アフロ・メキシカンの音楽遺産を巡って2週間ドライブしてきました。これは彼らの旅からのレポートになります。他のアフロ・メキシコのロードトリップシリーズはこちらから。

Cruz Grande, Guerrero
私たちの旅の最初はCosta Chica、国内最大のアフロ・メキシカンがいると知られているメキシコの太平洋岸の地域でした。それは、アカプルコ、プエルト・エスコンディドのビーチリゾートの間に孤立していて、広く貧しい地帯の広がる町です。しかしメキシコの民族的な政治の変化(後述)は、”アフロ・メキシカン”もしくは"アフロ・メスチーソ"としてのアイデンティティへと地域そのものを導きました。それはcosteñosとして、彼らの文化をクリオーリョ、またはクレオールとする最もよく知られていることです。

1

これらの町のうちのひとつ、Cruz Grandeは見事な青い教会の回りに位置するとてもリラックスした場所です。私たちは、この時代にクリオーリョの音楽的な伝統を存続し続けてるLos Gallardo一家と話すためにやってきました。彼らの間で最も重要なchilena(son de artesaとしても知られる6/8拍子のバウンスした音楽)はハープやギターのような形をしたビウエラなども含むたくさんの弦楽器で演奏されます。ほとんどのメキシコの民族音楽はパーカッションが脚光を浴びるが、chilenaではcaja de tapeoという小さな木の箱を木片で叩く楽器でテンポがキープされます。

5

Eulaliohは、Costa Chicaに残る最後のchilenaのハープ奏者の一人です。その昔、chilenaは、海岸沿いのパーティの音楽でした。夜の祭りでひっくり返したカヌーの上で漁師が踊ったのが最初と言われるアルテサの、長方形の形をした場所で踊るリズム伴奏だったとされています。その話が本当かどうかは、アルテサは民俗舞踊の公演の領域に追いやられ、もはやパーティーでは行われなくなったため定かではありません。事実、今のchilena自体はかろうじて海岸沿いで演奏されているだけに過ぎません。経済的なサポートもなく、ほんの一握りの音楽家が伝統のためにそれを享受しています。

Eulalio Gallardoはその一人であり、家族でそれを行っています。彼の祖父は地元の演奏家として愛されていました。彼の父(もEulalio Gallardo)は20世紀中頃の偉大な音楽家で、沢山のよく知られた地域の曲をつくりました。彼はLos Gallardoという5人の兄弟でバンドをやっており、近年では10代の息子達とともに教会や結婚式など必要にかられればどこでも演奏をしました。Gallardoになるということは音楽をやるというを意味しました。「私の父は生前、私の息子たちにこの曲を教えてほしいと言っていた」とEulalioは語ります。「我々が生き残るために他のことをやって仕事をしなければならない場合でも、我々は、ミュージシャンの心を持って、それを育てていき、これを大事にするつもりだ。」と。

Eulalioは驚くべき音楽家で、短い間でしたが私たちがともに遊んだ間に、私は彼が豊かなバリトンで歌うはもちろんのこと、ハープ、ギター、ビウエラ、そしてギタロンを演奏するのを見ました。政府等のサポートを受けるまで伝統的な沿岸沿いの音楽は、パーティーのために小さなスピーカーシステムを借りたり、マリアッチのライブ会場で演奏されていました。彼の妻は米とチョコレートとシナモンで作る地元の飲み物(chilate)を売って売り上げの足しにしていました。
Eulalioと彼の息子達は数曲演奏してくれました。それはラジオでも聞く事ができます。インターネットでchilenaの録音を見つけるのは難しく、彼はこのブログだけで曲をシェアすることを許してくれました。この曲は“El son del cardenal,”というLos Gallardoによるもので、彼らの父Don Eulalioへのライブ・トリビュートです。
 (Sones, Chilenas, y Corridos: Homenaje a Don Eulalio Gallardo)

Chilenaのアフリカのルーツは、他のアフロ·ラテン系の音楽(サンバやクンビア)のように目立っていません。しかし、文カ的にミックスされた面は非常にアフリカのルーツを色濃く残しています。音楽の歴史を紐解く上では実際にそう言わざるを得ません。  地元の言い伝えでは、ラテンアメリカの太平洋岸を下ってきた貨物を荷下ろしていたチリの船員が Costa Chicaに彼らの民族音楽をもたらしたと言われているため、chilena,もしくは"Chilean"と呼ばれいます。それが本当だと言う人もいるし、フィクションだと言う人もいますが、多くの人はそうだと思っていて、海岸沿いに暮らすアフロ・メキシカンがその町のchilenaを作ったを思っています。


メキシコシティーではメキシコ人の民族音楽研究者のCarlos Ruizにインタビューをしました。彼は、Costa Chicaの音楽はアフロ・キューバやアフロ・ブラジル音楽に見られる重いパーカッションが欠けていることに驚いてはいけません、と言います。彼が言うには、学者達は植民船の記録を分析し、マリやセネガルといったたくさんの弦楽器の伝統とそれほど多く打楽器を使わない西アフリカの国からメキシコに奴隷として渡ってきたと主張します。彼はまた、Costa Chicaのchilenaとベラクルスのson jarochoの両方は、足をパーカッションとしたダンスと弦楽器が混ざって演奏されているのは偶然ではないと言っています。
Eulalio Gallardoは彼は個人的には彼の音楽はアフリカから来たどうかは断言出来ないが、海岸沿いの音楽には特別な何かがあると同意しています。「私たちが演奏する音楽のテンポやリズムは、他のメキシコのものとは異なっています。ここでは音楽はアップビートで、ヴァイヴを感じると思います。」と彼は言います。
次はLos Gallardosとさらにchilenaについて詳しい映像をアップする予定です。お見逃し無く。


All photos by Nina Macintosh.