2011年11月16日水曜日

Hot Re-Release: GRUPO 2000 + Michael Piggott Interview

http://latinfunk.org/blog/?p=914


1960年代、1970年代にペルーのアマゾン系ジャングル地域の都市や、アンデス山脈がそびえる東側の街では多くの音楽シーンが生まれました。20世紀盛んだったゴム産業のブームには、仕事を求めてアメリカ大陸や外国から(モロッコからセファルディのユダヤ人でさえ)海外へと進出した労働者が多く見られた。これは既にそこに住んでいた重要な先住民族に、控えめに言っても興味深い文化的な環境を作りました。


Los Destellos や Los Diablos Rojos のようなペルー西部のギターが主体になったクンビアや guarachas の人気は、アマゾン系のグループ(Los Mirlos や Juaneco など)に多大な影響をもたらしました。しかし、彼らが作った音楽は非常にユニークなもので、幅広いスタイルをもったものでした。

これらの失われつつあるアマゾン系のクラッシックスを追い求めているのが Michael Piggott です。彼は Light in the Attic imprint というレーベルでたくさんのペルーの珠玉をリリースし続けています(Ranil y su Conjunto Tropical, など)。彼の次のプロジェクトは「El Destape」と名付けられたギタリスト Tulio Trigoso 率いる無名のグループ Grupo 2000 のLPです。私は彼にこの最近のリイシュープロジェクトや、ペルーの60年代70年代の音楽業界、一般的なペルー盤のリイシューについてインタビューしました。



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Musica Del Alma: どのようにしてペルーの音楽に魅入られるようになったのですか?

Michael Piggott: そうですね.. まず私がなぜラテンミュージックに惹かれたを話さないといけませんね。私は世界中のパンクがとても好きで、今も好きなんですが、私の手に入れることができた7インチとは違うものをたくさん集めていたメデジンの文通相手と交換した7インチに私の心は吹き飛ばされ、コロンビアのバンドをよく聴いていました。


彼が送ってきた荷物のなかで、南米全域のパンクグループのコンピレーションがあり、それらのうちいくつかのバンドがペルーのものでした。それでペルーのパンクを集めるようになり、友達( tunchi / http://limafotolibre.com/ )と仲良くなり、もし Los Saicos が聴いたことなければ、Los Saicos と他の60~70年代のグループを詰めたミックステープをたくさん送ってくれました。


そして Los Saicos に関するリサーチが始まりました。私は誰かに2枚の45回転を注文し、一ヶ月後たっても何も届かなく騙されたと思っていましたが、ある日2枚のシングルと Paco Zambrano のLPが届きました。私はそれを聞き「これは一体誰?」と思い、ペルーから来たトロピカルなグルーヴに深くはまって行きました。




MDA: あなたのアンテナにひっかかった最初のアマゾン系アーティスト/グループはなんですか?それとそれらの最初の印象は?

MP: 私が買った最初の45回転とLPは Juaneco と Los Mirlos でした。当時はまだよくわかっていなくてリマのバンドに注目していました。最初のグループは私にもっとアマゾン・クンビアを掘りたくさせた Los Wemblers でした。彼らはとてもユニークなサウンドで、彼らの Sono Radio では Enrique Lynch  とともに活動していて SELVA がどのような音になるのかの決め手を担っていました。IEMPSA レーベルは素晴らしい曲をたくさんレコーディングしていますが、Sono Radio のものほどいいものではありません。




MDA: このシーンにおいてプロデューサーやレーベルで重要だったのは何ですか?またもしあるとすれば音楽の面でアマゾン内での地域差は、何でしたか?


MP: はい。主なレーベルは El Virrey、INFOPESA、IEMPSA、DINSA でした。しかしこれらのレーベルと同じようにアマゾンの素晴らしいレコードを作っていた小さいレーベルもありました。Discos Universal のようなレーベルは素晴らしい無名のバンドを多くリリースしていたし、バンド自身によってレーベルが作られたりしていました。私は Phil Spector や Joe Meek 、またはそれに類するようなスタジオの音を方向付ける特定の人が存在していたとは思っていません。それに近い二人は Enrique Lynch と Luis Temple のプロデューサー/エンジニアだと思います。例えばウカヤリ川の Pucallpa から出てきて多くの MASHA と呼ばれる Shipibo の歌を歌った Juaneco のような地域的な特性は YouTube などで見ることができます。


Tingo Maria や Tarapoto のような地名はとても有名な Pandilla と呼ばれる音楽スタイルになり、Huayno の風味が加わっています。ペルーやアマゾンには多くの違った音楽スタイルがあり、いまだに研究や記録されていないものもあります。






MDA: 素晴らしいですね。その地域にレコーディングスタジオやプレス所があったのですか?もしそうでなければ、どうしてペルーのアマゾンでこのような音楽が多く生まれ、高いクオリティーでありえたのでしょうか?


MP: 私の知る限り、アマゾンにはレコーディングスタジオはなかったと思います。それはプレス所も同様です。これらはほとんどすべてリマで行われていたことであって、バンドはほとんどの時間をリマに移動するバスや飛行機で費やしていたと思います。多くの場合バンドのフルメンバーではなくおそらく3人くらいがリマに行き、そこでレーベルが持っていたスタジオミュージシャンと演奏していたのだろうと思います。


多くの場合これらのセッションは急いで行われ、それが結果的にファンキーで素晴らしい物になったのです。Grupo 2000 のLPの場合、バンドのフルメンバーにスタジオミュージシャンが加わり、エネルギッシュで思慮深い音になっていると思います。当時リマにはスタジオに併設されてレコードのプレス所があったのだと思います。もしペルーのアマゾンの一番大きな都市、イキトスでそれが起こっていたのなら、私の知識はなんの為にもならなかったと思います。





MDA: 私はこのLPの音楽的なスタイルの多様性に驚いています。ジャジーな (“El Destape a Los 2000”)からヘビーなラテンサイケの (“Notas de Colores”)まで。あなたの Tulio Trigoso とのディスカッションの中で、彼のうけた大きな影響などは聞きましたか?このクオリティはほんとうに素晴らしいです。



MP: Tulio のギターへの2つの大きな影響は、Enrique Delgado (LOS DESTELLOS) とカルロス・サンタナだったと正確に述べていました。そしてアマゾンの Pandilla 音楽にも影響を受けていると言っていました。ブラスについても聞きましたが、彼はどこかに行っちゃいました。ははは..




“El Destape a Los 2000″


“Notas de Colores”



MDA: LPのなかで好きな曲はなんですか。またそれは何故ですか?

MP: 12曲目の “Denisth” はとてもよく聴いています。それは以前の曲に全ての違うスタイルを合体させて、ひとつに包んだような曲です。LPの全曲は私にとって傑作であり、みんなに見つけて欲しいし理解してもらいたいです。


“Denisth”



MDA: このLP意外に Grupo 2000 はレコードを作っていますか?

MP:  これが彼らの唯一の録音です。これらの曲のうちいくつかは45回転のシングルになり、DO RE MI (El Virrey) のコンピレーションに収録されましたが、Tulio はこの INFOPESA と協力した LPのあとレーベルを離れ、名前を SONIDO 2000 に変えて多くの素晴らしい作品をレコーディングして今でもそこにいます。彼は66歳です!





MDA: 他のリイシューの作品はありますか?(差し支えない範囲で)

MP: 10月に出る3つの7インチのセットがあります。そのうち2つはリイシューでもう一つは今年の5月に録音した新しいバンドです。今のところそんな感じです。





MDA: レコードに関して聞きたかったことがありました。特定のレーベルによって最近行われているペルー盤の ”リイシュー” に関して知っていますか? ”他の” レーベルとどのように区別して、リイシューすることに関してアプローチしていきますか?



MP: 私は人々がかつて見たことがない、彼らの心を開かせる新しいグルーヴのようなものを選択することが非常に重要だと思っています。例えば、LOS DESTELLOS はペルーのクンビアの歴史の中でも最も多くの作品を残し、バックカタログを持つグループのうちの一つです。しかしそれらは既に livier Conan と Vampi Soul によって手がけられており、人々によって「彼らは革新的で素晴らしいバンドだ」として絶賛されています。


しかし、もしリスクを背負わなければならなかったり、あなたの心を掴んだ何かをリリースしなければならなかったりという事実は、早く売らないといけないということです。というのは他の誰かがリリースして成功を納めてしまうからです。私たちはこのプロジェクトにかけたお金をバックさせたいと思ってはいますが、Mystic Tide や The Golden Dawn のようなグループに比べて、ビートルズのようなレコードをリリースするようなつまらないものになってしまいます。誰かが私に言ったことがありました。「人生はリスクを背負ったボールのようなものだよ!」


私は心の奥底ではリリースを続けようと思っています。バンドと連絡を取り、彼らに何が起こっているかを知らせることも重要だと考えています。これらのバンドは当時のレーベルからは正当な評価を受けてはいませんでした。もし何かをリイシューするときにこの点を考えることが重要だと思います。そんなところでしょうか。



MDA: アドバイスありがとうございます。最後にあなとの好きなペルー人のミュージシャンは誰ですか? また、それは何故ですか?

MP: それはとても難しい質問ですね。いろいろな理由で掘り当てたたくさんものがりますので、この質問に答えるのをためらってしまいます...



MDA: 同意します!ありがとうございますMikeさん。次のプロジェクトも楽しみにしております。